2010/3/10 水曜日

高橋竹山と時代考察#1

カテゴリー: takedaの記事, メンバーブログ — takeda @ 22:33:20

高橋竹山は明治43年、6月18日、青森県 東津軽郡 中平内村 字小湊で生まれる。
本名定蔵(さだぞう)。
その2年後には明治天皇が崩御される。

明治末期をなぞってみると
明治27年には日清戦争
明治37年には日露戦争が起こっている。
ちょんまげを結っていた時代からわずか40年足らずで、アジアの大国を打ち砕き
同じく大国であったロシアを、極東の黄色人種が勝利した意味は非常に大きかった。
明治44年には、不平等条約が完全撤廃される。

そのころ定蔵は2~3歳、麻疹をこじらせて半失明状態となった。
自伝を読むと目が悪くなっていることに気付いた両親は、町の目医者に連れて行ったが
たいしたことはないと診断され、適当な薬を渡されたそうだ。
気付いた頃にはすでに手遅れで、野辺地の医者、青森市内の医者に連れていったがどうしようも
出来なかったそうだ。そしてその頃は、このような例は山ほどあったようだ。
すべてを医者の責任には出来ないが、見てもらう方も医者をえらぶという意識が必要だ。

大正2年には青森県は3分作の大凶作となる。第一次世界大戦が勃発した年でもある。
飢饉が起こると身売りや、飢餓状態に陥る人も続出した。

定蔵は、大正6年には小湊尋常小学校(現・平内町立小湊小学校)に入学するものの
目が見えないことを理由にいじめに合い、3、4日行っただけで、やめてしまう。
定蔵少年は気が強く、1対1の喧嘩には負けたことがないとのことだが
目が不自由なことから、言葉によるいじめ、それに多数に無勢を強いられることが多かったようだ。

そういった幼少期からの経験が、権力等に対する反骨精神を磨いていったといってもいいだろう。

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